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おそまきながらスタート位置に

この日はアートマネジメント講座にて
難病にかかった友人を支えるために、
支援という位置づけではなく
その方を中心とした
「プロジェクト」として立ち上げ関わってこられた
志賀さんのおはなしをききました

志賀さんが難病にかかられた友人を病室に訪ねると
友人は、死と向き合う時間をすごす病室で
すきなときに自分で窓をあけて空気を変えることもできない
すきなカーテンの色を選ぶこともできない
すきにねがえりをうつこともできない
呼吸器をつけて家族の世話を受けず
一人でくらすという選択肢が用意されているようで
実はまったく用意されていない…
人が生きるためにあたりまえにできてよいはずのことが
まったくできないという状況にあった

たとえばそういう状況にある友人に
「はいこれアートやすらぐでしょ」と
届けたとしても
ただの気休めにしかならない
一時のやすらぎを与えてもそれは気休め
自分は何もできない
と思われたという
本当になにもできないと

そこで志賀さんは
難病を抱えていても独居で生活をしている方の事例を聞き
その事例を参考に友人の性格などに合わせて
周囲のアーティストとともにその方の24時間介護の仕組みを考えだす
町家を改装し、空いたスペースはダンサーの稽古場として貸出し
人が集う空間に難病を抱えていても仲間に支えられながら「独居」する

状況は違えども
こちらも自分が本当に何にもできないふがいなさに
落胆、落胆、そしてまた落胆の日々をおくっていたので
おはなしにとても励まされた

仕事がなくて仕事がなくて
生活保護を受けるか、路上で生活をするか
身近な人が現実にこの2つの選択肢を目の前に思い悩んでいる
目の前にふとんで眠るということができない人がいる
ごはんをたべることができない人がいる

その人に「はいこれアートですよ」とアートを手渡す意味について
その人に「アートをしましょう」と言うことの意味について
実は自分はしっかり考えていなかったのだという
恐ろしい無責任さに
きづかせていただいた
なにか違和感をもっていてもそれがなんなのか
考えてこなかった
ものを押しつけることの傲慢さ
気休めにしかならないことをする無責任さ
気休めがすべて悪いわけではないとおもう
けれど気休めだけでは変わらない
根本にある「なにかおかしい」という問題に対しての
アプローチがなければ
気休めを繰り返してもかわらない

わたしたちはその人たちに仕事をつくることはできないし
生活費を捻出することもできない
家を貸すこともできない
本当になにもできない

けれど切り口として
ひとつのやり方として
気休めでなく
はじめはひとりの人のために動きだしたことでも
向けう先はその人ひとりのためでもはなく
さまざまなひとがそうせざるをえなくなっていることの
根本の問題を提起する仕方として
アートやいろいろな切り口を考えていく意味がある
ということを
志賀さんから教わったようにおもう
それには発想や工夫や努力や忍耐や出会いや…
いろんなことが必要なのだけれど

この発想、工夫、努力や忍耐のどれも自分には
おそろしく乏しいことに
また何もできない…
と打ちのめされるのですが

アートに限らずとも
切り口の多様性が
そこから問題の根底を浮かび上がらせ
他の機関や社会がうごく
ひとつのきっかけになること
無力で何もできないと知ったところからがスタートだった
志賀さんのように
これからがスタートと
言い聞かせる

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